海辺に住みたい設計士

海辺に移住するという夢に向かって日々奮闘。当面の目標は一級建築士取得。釣り好き。

私が上海の建築設計事務所を新卒で就職して辞めるまでの話

このブログにも端々に話が出てはいますが、

私はしがない大学の大学院を卒業し、上海の建築設計事務所で働いていました。

 

特に上海にゆかりがあるわけでもなく、語学もニーハオとシェイシェイくらいしか知らない状態で2年間就職して、よかったこと、悪かったこと、そのどちらでもないこと、いろんなことがありました。

 

そんなことを書きながら、

就職を考えている建築学生は海外で働くという選択肢に入れれてくれるか、くれないかはわかりませんが、今後のことを考える手助けになればいいなと思っています。

 

 

 

結局SNSで就職先がきまりました

もともとはみんなと一緒でした

かくいう私も最初はごくごく普通の就活生でした。

マイナビリクナビに登録して、エントリーシートやら履歴書なんかを手書きで書いて、着慣れないリクルートスーツに袖を通してしゃべったこともないような敬語を覚えて面接に取り組んでいました。

 

就活をしていたタイミング

私が就活をしていた当時は、ちょうどリーマンショックが起こり、未曽有の不景気だのなんだのと不穏なことを言っていたときでした。

 

そんな完全買い手市場、1社でも引っ掛かれば御の字。みたいな状況で私と言えば、

建築をデザインする仕事がしたい、ただし給料の安いアトリエはいやだ。だからといってデザインコードが画一化されているハウスメーカーなんかで働くのもいやだ。

とまあ浮世離れした思いをもっていました(今も根っこの思いはこのままですが。笑)

 

いろいろ意気込むも惨敗

というわけで私が行きたいのは組織設計事務所だ!という結論にいたり、いろいろ応募してみるも見るも無残な結果でした。

 

設計課題でトップはとれないけど、そこそこ上位で、

イデアコンペもやりまくって、佳作を1個とって、

その他研究室内で複数のプロジェクトリーダーをやって、

ポートフォリオだって一生懸命まとめた。

 

自分にはこれだけやったんだぞ、という謎の万能感に包まれていたが、その程度の学生なんてのは掃いて捨てるほどいるわけで、自分がどういう風に見えているかと、どういう風に見られているかの間に完全な乖離が生まれていたことに当時は気づけていなかった。

 

振り返ると個人的にはこういう選択(上海にいったこと)をしたことに対しては全く後悔はしていないが、もっと上手に生きるのならばいろいろ(自分がいいと思っている価値観の)下方修正して頑張っていったらもっと楽な道はあったとは思う。そんな道進みたくはないけど。

 

ただその当時組織設計事務所でワンチャンあるかもと思って応募したところは全滅。

全滅だからしょうがなく、いやいやハウスメーカーの面接に行っては落ち、デベロッパーのグループディスカッションみたいなものにもいったのだが、ほかのチームで建築をただのハコモノ扱いし何々風のデザインにしておけばいくら程度は見込めます、みたいなプレゼンテーションをしてげんなりして帰っていったことはいまだに覚えている。

 

そういうやりたいことは見いだせないけど生活のために仕方なく就活せざるを得ないといった、夢を失った中年みたいな気持ちのフレッシュマンに誰も魅力を感じるわけでもなく、私の就職活動はずるずると続いていた。

 

友達の就職が決まりだす

友達も徐々に就職が決まっていって、ゼネコンの現場監督になったり、ハウスメーカーの営業になったり、アトリエに行ったり、広告代理店にいったりと、同じ教室で同じ課題の図面や模型を作っていた人たちとは思えないくらい、実に多岐にわたっていた。

 

そこに入るのが不本意そうに「まずはこの会社で実務経験積んで・・・」みたいな友達の話を聞くのも少しまぶしかった。自分は自身のプロデュースを完全に失敗し周りの友達から完全に後れをとっていたのだから。

 

性格的な欠点

 今もそのけがあるとは思うが、私は性格が極端だった。

 

就活中、友達と冗談半分でスーパーゼネコンWEBテストを受けた。

その会社の出身大学があまりにも上位すぎたため、自分らの大学なんて引っ掛かりはしないだろうけどダメもとで、ワンチャンあったら俺たちがパイオニアになれる!みたいな冗談なんかをいいながら受けてみた。笑

 

結果は私が不合格で友達が合格。友達も結局次のステージのグループ面接で落とされてしまった。ただWEBテストだけでも受かった友達を単純にすごいと思った。

 

どういう答え方をしていたのか気になったので少し聞いてみた。

 

テストの内容は、そう思う、どちらかといえばそう思う、どちらともいえない、どちらかといえばそう思わない、そう思わない、の5つの選択肢で答えるタイプの問題だった。

 

 友達に、「どっちが多かった?」と質問すると、「いろいろあったからなんともいえないな」といわれた。質問の仕方からもう察しは付くが、私のなかではそう思う、そう思わないの2択だった。

 

当時は答えにくい問題に直面したとき、ずばずばものを言って物事を打開していくことがスピードも早いし合理的だしベストなことだと思っていた。

 

まだベストな選択だけで前に進めていけると思っているところが未熟な部分である。

 

自分がいいと思ったデザインをすすめていくにあたって当然のように、

確認申請機関から法的な文句を言われ、

構造屋から構造的な文句を言われ、

現場から設備やおさまりの文句を言われ、

営業から納期の文句を言われ

お客様から間取りやそもそものデザインをひっくり返される。

 

あなたがもしかするとスティーブ・ジョブズのようなカリスマ性をもっていて次元を曲げることができるのだとしたら(ジョブズが理不尽な要求を通すときに周りからそう揶揄されていた)はなしは別であるが普通に仕事を進めていこうとすると、お客様が建物の形を変更したいなんて急に言われたならば「確実なことは言い切れないのですが考えたいので要望を聞かせてください」と歯切れの悪い解答をした上で、構造的にも、法的にも、会社的にもいいのか曖昧な状態で話を聞いた上で方々に相談、できるかどうかの解答をするわけである。

 

つまり、すいも甘いも知り尽くしたベテランがその場でイエス、ノーをはっきり言うなら信頼に足るかも知れないが、実務の知識もない新卒がイエス、ノーと極端に答える傾向のある人間は危なっかしく、それよりは一旦解答を止めてわかる人間に確認を取った上で確実なものにしてから答えを出すと言った、調整能力のある人間の方が重宝されるし、その判断基準が、適切なポイントで曖昧な回答が選択できるか。なのだろうと思う。

 

たまたまみたmixi

 かくして、私の就活は完全に座礁しかける。

自分の持っているタマは打ち尽くしてどうしようかなと途方に暮れていた。

 

その時たまたま見ていたmixiというsnsで(この記事にニーズを感じるユーザー層では知らない人もでてきそう)のコミュニティで建築関係の求人というところがあった。

 

こんなところに求人出すくらいだからあまりちゃんとしたところはなく、少人数のゴリゴリのアトリエとか、鳶職の募集だったり、下請け専門の組織建築事務所とかそんなのがゴロゴロあった。

 

その中に上海で商業施設のデザイナーやりませんか?という内容の記事が目に飛び込んで来た。

 

「なるほど海外で働くってのもあるのか。」と私は思った。

 

正直日本は景気も悪い、当時の上海はバブル。

純粋にとても強い好奇心が湧いた。

 

就活も友達のなかで内定をもらっていない人間もごく僅かになってきた。このまま日本にいたまま就活を続けても、結局名も知らない会社に入って結局なんだかよくわからないものを作っているような気がした。

 

そしてここまで遅れたのだから何か挽回できるようなネタが欲しかったというか、みんなより遅かった分こんなすごいことを企ててたんだぞ!というなんとも私らしい、極端なバランスの取り方で自分の面子を守っていた。

 

そういうみみっちいことを考えながら、私の上海進出の話は進んでいった。

 

実際会ったのち、Skypeで面接

 

面接では実際会って1回、Skypeで1回の計2回だった。1回目が社長直々に最終面接のような形で面接をして2回目はSkypeでほかの偉い人、みたいな。

 

やっている内容は商業施設のデザインでこんなのを作っている、実施設計は外国人は基本やらせてもらえず(設計院という中国の機関があってそこにデザインした図面を渡して実施図に起こす。なんでそんなことするのかというと、外国人のデザインをパクりたいからなんじゃ?という憶測が飛んでいた)プロポーザルデザインのプレゼン資料を作ると言った内容のもので仕事はたくさんあるとのことだった。

 

給料体制は福利厚生なんかは一切なく、8000元(当時のレートで11万円程度)一年に一割昇級していくシステムだった。

 

この記事が有名になってたくさんの人の目に留まり、たくさんの人が問題提起してくれれば幸いであるが、建築設計事務所で小さいところは当然のように、まあまあ大きなところであってもわりと平然と少ない賃金を支払って福利厚生なんて全くないなんてのはザラである。

 

百歩譲って、海外の現地採用だから日本のルールが今回に限り有効ではないのだとしても、日本を拠点にし、日本で仕事をしている建築設計事務所も同じようなことをしているということを頭に留めておいてほしい。

 

アトリエにいくなら宗教で言うところの信者であると言えるところがあればそこにいくのもありだとは思うが、なんとなく見た目もかっこいいしーみたいなノリで入るのはあまりオススメしない。気持ちも体力も持たないのである。

 

そんな非常識な給与形態ではあるが私はギラギラと野心に燃えていたので意に介さず。

 

しかも上海は物価が安い上に8000元というのは当時の中国人の平均月収の3、4倍だった。

 

つまり自分で考えた建築のデザインをやりながら一人で生活するには充分困らない給料をもらうことになったのだ。

 

上海のある建築設計事務所に就職が決まりました。

別に上海に行く事が悪い事だとは思っておりません。

後述しますがいいところも沢山あります。私の就職したところが残念ながらいいところではなかったというだけです。

22時に帰って眉をひそめられる

上海に就職が決まり、各友達との送別会も一通り終わり飛行機に乗って初めて来る上海。空港から出て外に出た瞬間感じた独特の匂い。香辛料やら汗やら工場の煙やらがいろいろ混ざった匂いというかとにかく臭いのである。

 

ごまかしのために、今まで使ったことのないアロマなんか炊くようになったりしていろいろ趣味も変わっていった。

 

そして出勤1日目、挨拶もそぞろに作業を始める。

教えてもらったのは自分の席くらい。予想はしていたが新人研修なんてものはあるはずもなく、PCの中に入っているツールを見ながら上司から言われたものを作って、と言われて試行錯誤をして作っていく。作り方を教えてもらうなんてことは当然無しだ。

 

当時は少々きついところもあったがゼロベースで物事を考えて答えを導き出す訓練にはとても勉強になった。

 

どうやって作るか細かいところを何人かでぐちゃぐちゃ試行錯誤するのは正直言ってだるい、人の作業にそこまで干渉するな、暇なのかお前は、わかったからどうやるかまとまったら俺に教えろ。と思うくらいだ。大概上司に対してだから心の中で思うにとどめているけど。

 

スケッチアップなんか使ったこともないのに「これをスケッチアップで起こして」などと平気で言ってくるクソ上司にも今では感謝である。履歴書にスケッチアップ使えますなんて一言でも書いてあったかよ、何ができるかまとめてあるんだから段階的にもの言えよ馬鹿がとは思うもこのソフト自体が簡単だという話を聞いていたので黙って取り組む。PCに入ってあるスケッチアップは英語だった。もちろん私は英語ができない。スケッチアップのアイコンを見ながら多分こんな感じで使うんだなーとか雰囲気だけで探りあっていたにもあまりにも限界が出てきてしまったので、隣にいた中国人のアシスタントに寸法入力のやり方を教わった。少しやったらちょっと慣れてきた。

 

しばらくすると中国人スタッフが帰り、日本人スタッフはミーティングかプレゼンかなにかでどこかに行ってしまった。だいたい19時頃。行き先も知らぬまま。もちろん出勤初日だったしまだ忠誠心みたいな無駄なものをアピールしたいと思っていたのでしばらくは仕事をしながら待っていた。

 

22時を過ぎても彼らは帰ってこなかったので、合鍵は渡されているので帰ることにした。まあ、クライアントと会食にでも行っちゃったのかなとその時は思っていた。

 

定時は深夜3時

家について11時半頃突然、私の電話が鳴る。

社長からだった「どこ行ったの?」というので私は「とりあえず準備も終わったので帰りました」というと社長から「あ、そう、、」と気のない返事が返ってきて電話は終わった。

 

後に分かることではあるが基本中国人スタッフは定時の18時上がり、上司は深夜1時上がり、そして平の日本人スタッフの定時は深夜の3時だった。

 

ようは私の中ではまあまあ忠実な部下を演じていたつもりだったのが、社長らの中では22時なんて早上がりをする奴はなんてやる気がないやつなんだと思われているように思った。そんな非常識を平気で押しつけてくるような連中だった。

 

休日は15時に出社していい

さらにトチ狂っているのが、最初の1年間は完全な休みが1日もなかった。

金曜日を迎えると上司から明日は「15時頃に来ていいから」ということを言われて、あ、来ないといけないんだ、と愕然としたことを覚えている。それでもなんとか、上海で頑張っている日本人のコミュニティとかに顔を出したりなんとか上海に馴染んで行こうという努力をしていこうとしていた。

 

結局1年間で完全な休みがあったのはビザの更新で日本に帰る7日間だけだった。

 

入社1ヶ月後に首を宣告される

今となっては案の定だと思うが、当時はひどく混乱した。

非常識ではあるが社長の求める行動とは真逆のことばかりしていた。

入社初日に22時という早上がりを決め、

上海の日本人コミュニティなどで要は遊び歩いていたように見えていた。

その時はさすがに私もやばいと思い、コミュニティなどで知り合った人に片っ端から連絡をかけ、1社ほど面接まで行った。

結局、直属の上司に相談し「社長はただハッパをかけてるだけだと思うよ」と言って掛け合ってもらい、その真意はわからないが私の首はなくなった。

 

ただ、私はあのタイミングでやめてしまえていたらどれだけよかったかと、2万回くらい思っている。社長の求める人材というのは、周りとの関係を遮断して徹夜とかをいっぱいすることも辞さない、みたいな人材だった。(実際そういう先輩がいて可愛がられていた)自分には絶対無理だと思った。馬鹿みたいな働き方に疑問も亭せず、自分の生活をめちゃくちゃ犠牲にし捲くっていくことが会社の評価軸になってしまっているところにしがみついてしまった後悔は未だ拭い去れない。

 

プロジェクトが2物件連続で前日に止まった

会社内の嫌なことなんて死ぬほどあった。上司が嫌な奴だったり、PCが動かなかったり、ネットが言論統制されている国だから、検索ワードによっては動かなくなるとか(のちにVPNを使って解決するが)とかあげたらきりがないが、なんと言っても辛いのはクライアントの気まぐれだった。

 

プロジェクトをやるとなってプレゼンに持って行くまでの期間1ヶ月、現場の状況を把握し、ボリュームスタディをし、コンセプトを打ち出し、3Dパースを中国人スタッフもしくは外注におねがいし、プレゼンシートを作成、中国語で通訳さんにプレゼンシートを翻訳してもらうまでが一連の流れだ。

 

上司に嫌味を言われながら1ヶ月ほぼ徹夜でやっていたプロジェクトが、トップの意向が変わったとかで提出前日なんかにころっと手のひらを返しやがる。

 

そんなのが2物件続いた日の朝、上司から、「今日は帰っていいよ」とさすがに優しい言葉をかけてもらった。

 

プリツカー賞をとったワン・シューの作品

クライアントの気まぐれも続き、上司も嫌な奴、給料だって日本円にしたらたいしたことないし休みもない、深夜まで残業。嫌なこと続きではあるが一番いやだったのはデザインだった。

 

中国の施工部隊 

中国の施工部隊は民工と呼ばれる、地方から出稼ぎにきた農民たちが何万平米という広大な敷地に巨大な商業施設を作っていく。

 

つまり技術のない人たちにいかにうまく作らせるかがキモになってくる。

 

 結局ハリボテに帰結する

そういう状況におかれてうちも含め、ほかの設計事務所がこぞって使うのはインスタントな素材、シートやメラミンといった雰囲気だけの何々風である。

 

よく覚えているのが、無垢材を使いたい旨を上司に話したところで、「わざわざ無垢の木を使わなくても同じような効果を得られるものはある」といいながら木のプリントが施されたシートを進めてきた。うるせえよ、そんなんで同じような効果が得られると思ってるからてめえの言うことなんか聞きたくねえんだよ。

 

などと、良い素材を使わせてくれる機会に恵まれず、デザインもとにかく派手目に、ZAHA、BIG、スティーブン・ホールなんかをよく参考にし、これらをもうひと暴れさせたようなデザインを要求された。

 

0に向かうのみのデザイン

とにかく派手目で、インスタントな素材を使って、という流れになるとどうしてもいやだったのが、建築を竣工した瞬間が100で、劣化が進み0、廃墟になるのをひたすら進むのを待つしかできない感覚が滅茶苦茶いやだった。

 

個人的な趣味になるかもしれないが、私は革製品のような時間がたつにつれ美しくなっていくものがいいと思っている。建築という時間軸が伴うものにおいてはなおさら意識すべきものだと思っている。

 

無垢の木だったり、アイアン、石等「劣化」と呼ぶにはもったいない変化をしていく素材で建築を作ったらどんなにいいか思いながら中国の現状にげんなりとしていた。

 

ワン・シューの建築を見て

のちに上海にいてよかったことで書いていくが、他の建築設計事務所ととの交流が活発で、そこで建築のバスツアーを募集していったので行ってみた。

 

ワン・シューという建築家の建築を見に行くという話ではあったが、当初ワン・シューのことは最近プリツカー賞をとったというのは知っていたが詳しくは知らなかったので、丁度いいと思い参加した。

 

寧波博物館を見て

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たくさんの建築を見て回ったがこれが一番すごかった。

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窓の感じもあるのだが、驚くほど荒々しいのである。

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なんというか近くで見ると継接ぎだらけのムラだらけというか、そういう感じではあるけどものすごく力強さを感じた。

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竹でコンクリートの型枠を作ったのだろうか、継いだ後は見えるし竹と竹の間からコンクリートがはみ出しているように見える。

 

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中は光のコントラストがとても強く外の荒い力強さとはまた違った力強さを持っています。

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やはり細かいことは気にしないでガンガン積み上げていっているように感じる。

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荒いマテリアルに強いコントラストがぶつかることで私には劇的に美しい空間に見えてきた。

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真骨頂がこれである。真ん中の瓦が触ったらちょっと動いた。多分抜けるんだと思う。

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 これを見て決意しました

めっちゃカッコつけた言い方する自覚がありますが、この建物を見たから上海での仕事にピリオドを打とうと思った決定打になったと思います。(まあもともと89%くらいとっとと辞めたい思いがあったんだけど。笑)

 

施工部隊が技術はないけど、マンパワーはある、という状況下において誰でも小綺麗にできるインスタントな素材に逃げるのではなく、あえて汚く出来る、無骨になることを許容して、デザインしきれなくなるのを狙ってデザインしているというか、デザインコードだけ決めて人海戦術で勢いよく作ってできたものをよしとするというかそうゆうおおらかさが、中国でできる本質的なデザインなんじゃないかと思った。

 

そしてそれがプリツカー賞をとったということが自分の考えを後押ししてくれたように思えた。自分が今作っているものに対して抱いている不満や不安、考えが正しいように感じた。

 

かくして私の上海の建築設計事務所を辞めた。

 

いいところだってあるんです!

このままだと誰も上海に行ってくれなくなっちゃうのもなんかいやなので、ちゃんとよかったことも書きますね。

 

私の場合、会社があまりよろしくなかっただけで、上海での暮らしに関しては素直に楽しかったです。

 

なので妻子ができて色々フットワークが重くなってきてはいますが、もう一度どこか海外でチャレンジしてみたいという思いはすてきってはおりません。

 

それくらい楽しかった上海でのいいところを書いていきます。

 

横のつながりがすごい強い

これって後々上海特有だなと思ったのが、上海で頑張っている日系の設計事務所なんかが集まってシンポジウムやったり、イベント起こしたりしていてとても情報交換が活発に行われていました。

 

私の送別会なんかは他事務所の方が主催で他事務所の方々がたくさん来てくれましたからね。笑

 

そこでは自分なんかがまず履歴書すら送る気にならない組織設計事務所の人だったり、超有名アトリエ設計事務所の人だったり、今最前線にいる若手建築家だったりと私レベルの人間には到底知り合えなかったであろう人たちと仲良くさせていただいていました。

 

それが今でもかけがえのない宝物です。

 

日本人コミュニティも活発

仕事の仲間以外にも日本人コミュニティも活発にあって、上海まで来て日本人で固まるメンタリティもどうかと思いますが、その中にも日本語が得意な中国人だったりが、日本語と、中国語、半々で喋ったりとまったく中国語が喋れないで上海に来た人間としては、なかなか丁度いいグローバル加減でした。

 

まあまあいい暮らしができる

私は現地採用でしたので豪遊とかはしてませんでしたが、一人暮らしには十分すぎるくらいの広さ、で綺麗なところに住んでいましたし、中山公園というそれなりに都会のところに住んで、ほぼほぼ外食、たまに洒落たバーになんかいけちゃうくらいのお金の余裕はありました。

 

給料が高いというか、物価が安いんですね。

 

終わりに

いかがでしたでしょうか。結論から言ってみると選んだ会社はよくなかったけど、上海自体は色々楽しかったです。

 

中国人って激しい気質で尖閣諸島を国有化したら暴徒化して日本料理店を襲ったりというニュースが日本にも流れていましたね。

 

それも事実なので中国人を完全に擁護するつもりもありませんが、ただ同じ中国人でも自分が仕事中にお菓子を食べようと思ったら必ずみんなに配るという心優しいメンタリティも持ち合わせている人もいるということを知ってほしいです。

 

中国を自転車で旅していて、疲れたからって中国語もろくに話せない日本人にソファを貸してくるガソリンスタンドのおじさんだっているんです。

 

ニュースはあくまでニュースです。

 

人を殺したとか金品を奪ったということを集めて放送する機関なので、中国人の優しさなんかつまんなさそうな部分は放送してくれません。

 

なので上海に限らず海外に行く際は、実際現地に行ってどういう文化で持っていた情報といかに違うかというものを注意しながら自分の判断軸を鍛えていけば結構高いリテラシーも付いてくるんじゃないかと思います。

 

色々飯がまずいとか、ゴミをそこらへんに捨てるなどといった民度の低い部分は未だに根強くあるので一概に言えませんが、そのなんでも一概には言えない、その都度その都度ゼロベースで物事を考えていくスタンスのようなものは海外ではとても必要なもののような気がしています。

 

そして言葉がわからないからと行って絶対に引かないこと。

全部日本語でもいいから自分のやってほしいことを完全に理解できるまで絶対引かない。人と意思疎通で一番必要なのは語学力ではなく、度胸だと思う。

 

この「全力で生きてる感」は平和ボケした日本では全く得られなかった感覚だと思うので、とても大切にした方がいいと思う。日本に帰ってきてから物事に動じることがほぼほぼなくなりました。笑

 

誰かが何かをやってくれる母性社会日本で、自分のことは自分で切り開けで同じみ、父性社会の中国で暮らすということはとても大きな刺激を与えてくれた訳であっていい経験ができました。

 

救急車は呼んだ人が金を払う仕組みになっているので交通事故になっても誰も連絡してくれる人はおらず、足から血を流しながら自分で連絡する姿を見て、自分の尺度でものを見ることがいかに狭量なことであるかは常に意識に入れている。

 

以上のことから人脈、精神性など新たな世界が開けてくると思います。

 

あなたの将来に光がありますよう。

 

お読みいただきありがとうございます。