給食のカレーやめますとかいう教師はいっぺん社会出てプレゼン力鍛えろ
朝ニュースを見ていて思わず声をだして笑ってしまった。
すごいところに着地したものだなと。
私みたいな凡人には、いじめをしていた教師4人のクビをとばすのが一番のような気がするが、保護者説明会では謝罪文の読み上げのみ。そして給食のカレーをやめて調理室の改修をするという面白アンサーにいきついているわけだが、いったいどんな背景でどうすればよかったのか、勝手に考えてみる。
まず、人手が足りないのか、そこまでの対処はきつすぎると思ったのか、なんでか理由はわかんないけど、いじめに加担した教師4人をクビにすることはできない理由があると仮定する。
クビにすることができないのであれば、復帰させて働かせないといけないわけで公に晒しものにすることはできない。
であれば今回の顛末で不登校になった子供のことを第一に考えて(ってていで)カレーをなくして改修しよう。というところだろうか。
まず考えないといけないのが、全国ネットのテレビに取り上げられているのだから、まともに社会復帰したいのなら、子供のことを第一に考えた上で日本国民の良心的な考えの持ち主のほとんどを納得させるような立ち回りをしないといけないのだが、できていたか。
いじめた教師4人を守るという保身のバイアスが働き、頓珍漢な行動に走っているんじゃないかと思う。
私ならこうする。
マスコミは立ち入り禁止にして保護者説明会を開く。
いじめをした教師4人が並び丸坊主にでもし、涙ながらに謝罪文を読み上げる。
説明会が終わり出ていく保護者にマスコミが群がる。
丸坊主で涙ながらに、、みたいな説明すると、実際に見えないもんだから勝手に想像してちゃんと反省しているイメージがドライブする。
みたいな。
で、今後こういう頓珍漢を増やさないためには一回社会にでてプレゼン力をつけさせればいい。教師という自分がなんでも正解みたいな立場にいるから視点がここまで単一的なるんだろう、費用、納期、デザイン、クライアントの意見など、多角的な視点が要求される社会で一回もまれたほうがいい。
広告代理店なんかにインターンでもいいかな、作った資料についていろいろ突っ込まれればいい。ここの表現が抽象的過ぎてわからないとか、謝罪文読み上げるだけでちゃんと相手に反省してることが伝わるのかとか、給食のカレーをやめることによって救われる子供がどれだけいるのか、いじめた場所を改修することで救われる子供と、信じていた先生にうらぎられたような気持ちになってショックをうけている子供はどちらがたくさんいるのか、むしろ改修せずここでいじめがあったことを思い出し、子供たちが自分らはやらないぞ!という記念碑的なものにしてしまったほうがいいんじゃないかとか、突っ込めるところは死ぬほどある。
まともな判断ができる人間に子供を教えてほしい。